岡平健治さんは「あの紙ヒコーキ くもり空わって」で一世を風靡した「19(ジューク)」の元メンバーで、現在がスゴイと話題になっています。
岡平健治さんの現在について、人気絶頂で突然の解散に至った理由などについてみていきます。
岡平健治元19の現在
【あの紙ヒコーキ 元19は実業家】https://t.co/wrzQLrvIPR
1999年、「あの紙ヒコーキ くもり空わって」で一世を風靡した「19」、元メンバーの岡平健治は現在実業家として当時を上回る収入を得ているという。一時は音楽からの引退も考えたという紆余曲折の歩みとは。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) January 22, 2020
岡平健治さんは19の元メンバーで、「あの紙ヒコーキ くもり空わって」で一世を風靡しました。
現在は実業家として活躍。
またYouTubeチャンネルを立ち上げ、新曲を公開するなど音楽活動もされています。
人気絶頂での解散!理由は?
19は大人気だったにも関わらず突然解散し、驚いた人も多かったのではないでしょうか。
「10代って、“無敵”じゃないですか。みんなも、そうだったはず」
岡平健治の10代はまさにその言葉通りだった。中学からプロミュージシャンを志し、高3で出会った岩瀬敬吾とフォークデュオ「少年フレンド」を結成。その後、イラストレーター・作詞家の326(ミツル)を引き入れて1998年に「19(ジューク)」としてデビュー。2枚目のシングル「あの紙ヒコーキ くもり空わって」が大ヒットし、デビュー2年目で紅白歌合戦出場など、華々しい実績を残した。
しかし2002年2月、人気絶頂時だったにも関わらず同年3月で解散することを突如発表した。結成からわずか3年4ヶ月。岡平は当時を「輝かしい青春時代だった」と振り返る。
出典元:Yahoo!ニュース
解散後は、岡平健治さんは3ピースバンド「3B LAB.☆S(スリービー・ラボ)」を結成、
岩瀬敬吾さんはソロシンガーとしてそれぞれ活動をしました。
解散理由は
互いの音楽性を尊重するためでした。
岡平健治さんは後悔しているところもあるようで、下記のように話しています。
「ファンのみんなにはいまでも、申し訳なかった思いはあるんです。気持ちとしては長く続けたかったけど、めまぐるしい毎日の中で、何も考えられないほど忙しくて……いちばんいいときに、ケジメをつけてやめてしまった。あれほどのムーブメントを起こして、あれ以上の楽しい時間はなかったですよ」
「あれから何度も、お世話になった方々に再結成しないか、とお声がけいただいた。僕だって、何度もお断りするのはつらいんです。でも……だからこそ、『一夜限りの復活』なんて、ファンに対して誠意がないと思うんです。思い出は思い出のままで、美しいままでとっておきたい。世の中には再結成するバンドも多いけど、逆にそんなアーティストが1組くらいいたって、いいじゃないですか」
今でも元メンバーの岩瀬さんや326さんと、連絡を取り合っているようです。
現在は経営者
岡平健治さんは、ライブハウスをはじめ、スタジオやカフェバーなど全国に計5拠点ある不動産を経営する「RockFord Records」の会長顧問を務めています。
駆け出しのミュージシャンでも売れないミュージシャンでも、ライブが出来たり、レコーディングができるなどそんな場所を提供したいという強い思いがあったのです。
「いまは売れることだけがすべてではない。働きながらでも音楽に携わることはできるし、続けることで見える景色がある。だからこそ、僕がその環境を用意してあげたい」
と語っているように、才能あるひとが音楽を披露できる場所があって、ファンが集まり、生計を立てていけるそんな場所を目指しているといいます。
YouTubeチャンネルを開設
岡平健治さんは、YouTubeチャンネル『Mutuber KENJI CHANNEL』を開設。
新曲を次々とアップしています。
経営者である岡平健治さんは、17Live(イチナナ)、SHOWROOM
などトレンドも常にチェックし追っているようです。
まとめ
元19のメンバー岡平健治さんについて、見てきました。
大変で苦しい時もあったようですが、現在は経営者として活躍していました。
若い方が音楽活動できる場を提供しながら、自身も音楽活動を続けていました。
本当に音楽が好きな方なんだと感じました。
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