「どんだけ~」「背負いなげ~」などのフレーズでバラエティー番組でも大人気の美容家のIKKOさん。
明るくて人気があって、長く活躍されているIKKOさんは、美容家としてだけでなく人としてもとても素晴らしい方です。
そんなIKKOさんにも、実は苦しく地獄のような日々があったといいます。
今回は人としても、美容家としても素晴らしいIKKOさんをみていきます。
いじめられてた子ども時代
幼い頃のIKKOは、おままごとや、キャビンアテンダントに憧れていました。そんなIKKOさんは「オカマ」「あっち行け」などの陰口を言われていじめられていました。
今は男の子でも女の子でも、好きな姿や好きなことをすることが出来ます。
しかし、昔は男の子は男のらしく、女の子は女の子らしくなければ変な目で見られる時代でした。
そんな時代にIKKOさんは悩み、1人で苦しんでいました。周りに認めてもらえない、理解してもらえないのは本当に苦しいし、辛いことと思います。
そんなIKKOさんは、ここでは生きていけない、上京しようと決心し、女性として生きていけないなら女性を綺麗にする仕事に就こうと美容家を目指したのです。
地獄のような辛い下積み時代
福岡の美容専門学校を卒業したIKKOさんは、19歳で横浜にある高級美容室『髪結処 サワイイ』に美容師として、住み込みで働き始めました。
サロンの専務だった澤飯公子さんと運命の出会いを果たします。澤飯公子さんは、IKKOさんの名付け親でもあり恩師でもあります。
澤飯公子さんが「一幸(かずゆき)...なんか呼びにくいわね...あなたは今日からイッコーね」「よろしくねイッコー」と澤飯公子さんに言われたことからIKKOとなったのです。
要領が悪く何をやっても上手くできません。標準語が離せない、お客さんと話せないなど壁に直面してしまいます。
澤飯公子さんが付きっきりで教えてくれました。澤飯さんはIKKOさんを男でも女でもない1人の人間として接してくれたと言います。
何も出来なかったIKKOさんに、礼儀や人としての基礎を教えてくれた人なのです。
褒められることはなくとても厳しく今でも夢に見てうなされてしまうことがあるそうですが、澤飯さんはIKKOさんが誰よりも女性の気持ちを理解していることを見抜き、IKKOさんならできると厳しかったですがしっかり教えていたのです。
お客様には最後に頬紅を入れてあげたり、些細なことですが相手を喜ばせる気遣いが出来ることを見抜いていました。
澤飯さんは「当時褒めてあげなくて、可哀そうだった、反省してます」「今だったらIKKOの良いところ一晩でも語れる」と、話していました。
澤飯公子さんとは今でも親しく交流が続いているといいます。
IKKOさんもまた今はあの時代がなかったら、私はその後ダメになっていたかもと感謝しています。と辛かった時代ではありましたが、感謝の気持ちを述べています。
澤飯公子のプロフィール
澤飯公子さんは今年68歳になられました。澤飯公子さんは東京は深川・木場に生まれました。23歳の時に結婚しました。旦那さんは美容師をしていて、横浜の元町に美容サロンを開きました。
しかし、周りの声は厳しく、他所者が元町でやっていけるわけがない、数ヶ月も持たないなど言いたい放題言われてしまいます。
澤飯さんは、負けず嫌いなところもあるようで、元町の人間になってやると一念発起。上品な言葉遣いや、社交ダンス、英会話などを習い身に着け、元町に合う人間に変わったのです。
そして5年後にはなんと澤飯さんの美容サロンは元町を代表するサロンになり、認められたのです。
「これまでの人生の常識を捨てよ」という澤飯さんの言葉には、自らの経験から学んだとても奥の深い言葉なのです。
澤飯公子さんも、IKKOさんと同じく一生懸命にお客様のこと、相手の立場になって考えられる人なんですね。素敵な人の周りには素敵な人が多いですね。
元町は他の町とは違った雰囲気が感じられます。品のある町という印象がとても強いです。そこにいる人もとても上品な方ばかりで街並みもとても美しいところです。
IKKOさんの言葉はどれも重みを感じ、はげまされることばかりです。
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人気美容師に
その後、IKKOさんは21歳からメイク学校に通ってプロとしての技術を更に磨いていきました。そして多くのお客様から指名をされる人気美容師になっていったのです。
シャンプーの技術は素晴らしくお客様からの評判が高かったといいます。『豊(とよ)さま』と呼ばれて指名が来るくらいだったそうです。
27歳で美容サロンを辞めてフリーのヘアメイクアーティストになりました。大女優たちへのヘアメイクを手掛けるようになったのです。
そこでもIKKOさんは一切引くことはなく、鏡、照明、ひざ掛け、などなどを持ち込みしっかりおもてなしをされていました。
そこはまるでIKKOさんのサロンのようだったと言います。
1992年、30代でヘアメイクアップアーティストを目指して独立、自身の事務所『アトリエIKKO』を設立しました。
逸見政孝のヘアメイクを担当
IKKOさんは、逸見政孝さんのヘアメイクをすることになりました。きっかけは逸見さんの奥様からの紹介だったと言います。
奥様からの紹介があったのは逸見さんが独立されたころで、それまでの硬いイメージだった髪型を少し崩れた感じにイメージを変えたそうです。
アナウンサー逸見政孝さんのヘアメイクをされていたんですよね。着物の世界とはかけ離れているようにも思えますが、どんな経緯で?
IKKOさんも真面目な方ですが、逸見さんも真面目で芯が通っている人。IKKOさんは1時間前に現場に入って30分前には準備を終わらせていつでもお迎えできるようにしていたそうなのです。
逸見さんは時間にとても正確な方で、逸見さんの方が早い時もあったというから驚きです。本当にお二方はとても真面目な方です。
IKKOさんは、逸見さんに「どうやったら一流になれるんですか」と聞いたことがあるそうです。
その逸見さんの答えが印象的だったと言います。
マツコも一目置く存在
マツコ・デラックスもIKKOさんの事を尊敬しているようで、「あの人には敵わない」と一目置いている存在なんです。
IKKOさんの言葉は、深いものがとても多いです。
「両親への感謝の思いは日々の行動で表して。両親はこの世にあなたを産み育ててくれたかけがえのない存在。お世話になったことに礼儀を尽くし心から感謝する。これが親孝行の真髄です」
「物事には全て意味がある。人の感情ドラマ、人生で起きる出来事、自分に降りかかる災難、全てに意味がある」
「自分にとって本当の幸せを手に入れるにはそれなりの時間と手間、努力が必要なんです。しかも残念ながら幸せは永遠ではないから、幸せで居続けたいなら努力もずーっと続けなくちゃいけない。無難にクリアできる人生なんてないんですよ」
幼い頃から悩み、苦しみ、人一倍努力し、諦めることなく突き進んできて多くの経験をされてきたIKKOさんの言葉は心にグッとくるものばかりです。
本田圭佑さんの言葉もとても心に響くものが多くあります。多くの人は出来なかったりすると途中で諦めてしまいます。しかし、成功されている人は、出来なくても、辛くても諦めずに出来るまで続けている人なのです。
誰よりも辛く苦しい時間を過ごしているからこそ、言葉にも重みがあるのかもしれません。
チョコレートプラネットには感謝
チョコレートプラネットの松尾駿さんがIKKOさんのものまねをしてブレイクしています。
IKKOさんは、初めて見たのは掃除をしていた時だといいます。IKKOさんはモノマネしているのをみて、よく特徴をとらえていて勉強しているなと感心したそうです。
また、IKKOさんは自分がこんな話し方をしているんだと知る機会にもなったそうです。
チョコレートプラネットに感謝していることも話しています。
IKKOさんはほとんど和服なので、松尾さんが洋服なのはかわいそうと思い着なくなったものといってもIKKOさんが袖を通していない着物を何着があげたといいます。
IKKOさんは誰に対しても優しい心遣いが出来る方なんだと改めて感じます。
まとめ
IKKOさんは明るくて場を盛り上げることがとても上手です。誰よりも気遣いができ、相手の気持ちが分かり、喜ばせることが出来る方でした。
IKKOさんには、私たちが想像もできないような苦しい過去がありましたが、それを感じさせないほど人として立派な方です。
バラエティー番組では、笑いを誘ったりはっちゃけていますが、多くの女優さんから指名されるほどのヘアーメイクアーティストです。
またプロデュースされている化粧品もとても人気です。
IKKOさんは知れば知るほどとても魅力的で誰よりも優しく思いやりがあって人間味に溢れている方だと感じました。
これからも活躍されていかれるIKKOさんから目が離せません。
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